Social Worker's Note

社会福祉士です。現場で感じたことや考えたことを発信します。

対の病に触れる。

 親子の激しい応酬に立ち会う。対の病であるとしみじみ思う。どちらも悪いし、どちらも悪くない。対の病のやっかいなところは「個人」という概念が成立しないところである。そんなときに第3者である私は何ができるのだろうか。第3者の前で激しい応酬をやってもらうことは一見無意味のように思えるけれども、必要な過程なのではないかとも思う。対の病に触れ続けることがまずやれることなのではないでしょうか。

 そうやってじっくり付き合っていくことが必要だと思うんですけど、援助を提供する側がそれの意義を認めないということであれば援助なんて絶対に不可能なわけです。そういうことが職場で当たり前のようにならないことに苛立ちを覚えます。自分が付き合うことができないことを、相手(相談者)のせいにしてしまう。そういう転移感情に気づいているのは職場で多分私だけだと思います。特効薬なんてない。家族が営んできた時間の長さと濃密さに対抗するには、知性が必要だと思う。