Social Worker's Note

社会福祉士です。現場で感じたことや考えたことを発信します。

電車親子。

 今週末職場は大騒ぎとなっていました。私は直接的には巻き込まれずに済んだのですが、金曜日は何かが起こります。そのうちの一つは種を蒔いたこともあるので、すごく責任を一方で感じたりしています。

 今日は息子と電車で鶯谷へ。山手線・京浜東北線日比谷線・銀座線・田園都市線に乗り継いで自宅まで戻ってきました。渋谷の東急東横店で北海道物産展。プリンやら豚丼やらを購入。ものすごい人でおばちゃんたちには割り込まれてかなりムカつきました。割り込みってマナーというよりも、他者性の欠如から来るものですよね。

 これまであまりアクセスすることのなかったネット上の掲示板をいくつかサーフィン。5分もすると気分が悪くなる。むき出しの攻撃性と自己表出にゲンナリさせられました。かかわっているうちに転移感情を掻き立てられるのだろうと思います。ここにかかわらないという力が必要だろうと思います。

 ひいきにしているお店の攻撃なんかも簡単に見つけられるわけですけど、食べ物の評価なんて相対的なものだと思うけれども「一見さん」たちはそれを絶対的なものとして規定してしまうんだろうなと思います。「通う」という行為は、「味」という指標だけでなく、その場所をめぐる様々な指標に反応することによってなされるのだと思います。
 「こだわり」ということは、強烈に価値観を表明するということなのであって、そこから排除されてしまう人もいるわけです。それはそれで仕方のないことです。ただ批評する行為はそのことを自覚した上で成立する行為だと思います。排除されてしまった人が憂さを晴らすための行為ではないと思います。なぜその人はその価値観を強烈に表明するようになったのか、なぜ自分はその価値感から排除されてしまうのかを考えていくほうが自分自身の糧になるはずです。