Social Worker's Note

社会福祉士です。現場で感じたことや考えたことを発信します。

『ホワイト・オランダー』ー養子を扱った映画作品を振り返る⑤

 2003年で日本で公開された作品です。これはなかなか見応えがありました。

 

 毒を持つ花(ホワイトオランダーという品種があるようです)の美しい母親と、それに翻弄される娘のやりとりを軸に物語は進んでいきます。

 

 母親が直接的に娘に関与することができないので、娘は養子に出されることになります。複数の里親宅を転々とすることになるのですが、その度後に、養母と娘の間の女性同士の距離感が狂っていき、本児は安住の地に収まることはできません。

 

 当然娘の生活は荒れ始めるのですが、それを髪型や化粧だけで演出しているところがまず印象に残ります。それを観るだけで精神の荒廃が一発で理解ができます。 

 

 養母もまた複雑な事情を生きている生身の人間として描かれているところも魅力的な演出だと思います。決して聖人君主としては現れません。

 

 母と娘、養母と養子という女性同士の関係性が入り組んだ世界が描き出されています。母親のミシェル・ファイファーはやったことはとんでもないことですが、娘に語る言葉はあまりにも的確すぎて、観ている者を釘付けにします。この母親像は本当に怖いと思いました。

 

 ここまで観たなかで一番出来よい作品だと思います。


White Oleander Persuasive Video

『しあわせの隠れ場所』ー養子を扱った映画作品を振り返る④

 2009年に一般公開されています。実話ベースの養子のアメリカンドリームです。

 

 一方の主人公である不遇な黒人のうつろなまなざしが印象に残ります。これこそがアメリカ映画という感じの展開ですが、最後にはハッピーエンドが絶対待っているので、安心して観ていられるのは大事なことかなと思います。

 

 アメリカと日本ではシステムが違うので、一概に比較はできないですが、アメリカの方が養子に対するハードルが低いような気がしますね。家族観の違いも大きいと思います。

 

 現実にはこんなに簡単に他人と一緒に暮らすことができるのかなと思います。特に未成年が他人と暮らしていたら、また別の騒ぎ(誘拐とか搾取)とかになるんじゃないかとも思います。設定の大雑把さに少し残念さな印象は残りました。

 

 養子という現実を広く知ってもらうためのメディアとしては、こういう語り方は適当だと思いました。

 

 サンドラ・ブロックは、サンドラ・ブロックのままでしたねw。


The Blind Side 「しあわせの隠れ場所」

 

『草原の椅子』ー養子を扱った映画作品を振り返る③

 今回は『草原の椅子』です。宮本輝原作の小説の映画化だそうです。

 

 赤の他人である子どもを育て、養子にしようとする父子のお話です。そもそもその設定自体がアクロバットな印象を残します。赤の他人が子どもを育てるという設定自体が現実離れしているように思います。

 

 エンドクレジットに複数の児童養護施設の名前が出ていますが、本編では「施設」は避けられるべき場所として描かれており、本来の役割とは違う扱われ方をしているのではないかとも思います。

 

 今回一番気になったのが、実父母の演出のされ方です。役者たち自身のせいではありませんが、まったくリアリティーがなかったです。演出ミスだと思います。

 

 実父母をクレイジーに演出することで、子どもの悲惨さを浮かび上がらせる方法ははっきり言ってダメだと思いました。

 

 作り物だからそこまで厳しく言わなくてもと思われる方もいるかもしれませんが、リアリティーを欠いてはドラマのクオリティーは高まらないと思います。そして、139分は長過ぎです。

 

 黒木華の娘役はよかったです。複雑な文脈を演じることができる素晴らしい女優さんだと思います。

 


映画『草原の椅子』予告編

『JUNO/ジュノ』ー養子を扱った映画作品を振り返る②

 二本目は『ジュノ』です。こちらは、予期せぬ妊娠をしてしまった16歳の少女が、実子を養子に出すお話です。リアリティー追求というよりも、予期せぬ妊娠をポップに乗り越えようとする青春ドラマになっています。

 

 日本だとこういう風に明るく物語を描くこと自体に抵抗が発生しそうな気もします。

 

 主人公の女の子もどこまでも前向き、悩むことがありません。周囲の大人たちをひっぱっていくような力強い女性として演出されています。

 

 音楽の使い方や映像の処理も非常に明るい感じです。予期せぬ妊娠が見舞われた女子高生の青春物語というのが正しい評価だと思われます。

 

 養子となる男女の方はどこまで情けなく描かれています。特に父親候補の男性は完全にダメ人間になっていきます。その結果やはり「母は強いのだ」というメッセージがビンビン伝ってくることになってしまいました。


JUNO/ジュノ (Juno)

『秘密と嘘』ー養子を扱った映画作品を振り返る①

 訳がありまして、養子を扱った過去の映画作品を抑えていくことになりました。

 

 劇場で観るわけにもいかないので、自宅でチェックできるものをまずは抑えていきたいと思います。

 

 一つ目は、イギリスのマイク・リー監督の『秘密と嘘』です。カンヌのパルムドールを受賞している作品です。話のど真ん中に養子縁組が組み込まれています。

 

 このお話は養子に出した側の女性に焦点を当てています。養子に出された方が非常にクールで理知的です。実母の方がとっちらかっている印象です。どこに焦点を置くのかは監督の作家性だとは思いますが、この作品は実母寄りの設定です。

 

 実母の親族関係を織り交ぜながら、実子が少しずつその磁場に吸収されていくことでドラマは進展していきます。ドラスティックな展開はありませんが、実母と実子が言葉を交わすシーンがとても印象的です。

 


秘密と嘘(予告編)

慎泰俊『ルポ児童相談所』(ちくま新書)

ルポ 児童相談所: 一時保護所から考える子ども支援 (ちくま新書1233)

 前著『働きながら、社会を変える。』が素晴らしい本でしたし、著者が代表を務めるLiving in Peaceの活動の斬新さにも感動していたので、この最新著作も読まないわけにはいきません。

 

 この著者から児童相談所や一時保護所がどんなふうに見えているのだろうかという期待と不安を感じながら読み始めました。

 

 結論から言うと、『働きながら、社会を変える。』の時のような、児童福祉の世界に飛び込み、格闘しながら書かれていた文体の新鮮さは消えており、内部の一専門家としての発信になっているように思います。

 

 別の言い方をすれば、内部の人が既に考えていることや思っていることがほとんどで新鮮さはありませんでした。ですが、今回はそれがちくま新書という大きなメディアで広く拡散されることにこの本の意義はあるのだと思います。

 

 この本では、一時保護所が安心な場所にはなっていないということが問題視されていますが、この本には一時保護所が「行動観察」の場という点がすっぽり抜けています。そういう機能があるということについての言及がないので、一時保護所を精確に論じているとは言えません。安全を確保することも大事なことですが、家庭や地域から一定期間離れることによって、その子どもの本来的な能力を見極め、家族間調整をする期間(機関)でもあるのです。それも一時保護所の大事な機能の一つだと思います。その点いついての言及がないことがまず残念な点です。

 

 児童相談所が行う相談援助のプロセスのなかで、一時保護は調査の一部であり、その期間の間、行動を観察し、援助決定に向けた調整を行っています。

 

 上記のことを理由に、ここで私は、著者が発見した不適切なケアワークが正当化されると言いたいのではありません。著者が一時保護の基本的な機能についての認識がないままに一時保護所について論じていることが残念だと言いたいのです。

 

 もう一つは、一時保護所を問題視するための根拠が、過去に一時保護所にいたことのある人のインタビューであるということも気になりました。一時保護所に連れて来られたこと自体も、当時子どもだった人にとっては大変なストレスであったはずです。そのなかで一時保護所だけを取り上げてマイナスの記憶だけを引き出し強化するようなインタビューになっていないでしょうか。当時親にも学校の先生にも児童福祉司みんなにムカついていたかもしれません。自分(著者)が得た証言だけがどうして精確なものだと言えるのでしょうか。自分がインタビューした材料(根拠)だけで一時保護所全体を語っていいのかなという怖さを感じました。この著者の取材に応じる方だけが、一時保護所の利用者だっただけではないはずです。そこも残念な点です。

 

 著者が後半で書いている政策提言については異論はありませんし、この著者本来の専門性を導入して、児童福祉の領域にイノベーションを起こしてほしいと切に願うところです。そのためにも精確な現状認識や内在的な論理の把握が必要なのではないかと思います。

 

 これは私の意見ですが、素晴らしい実務者たちはその個人だけが素晴らしいのではなくて、その組織がその人を育て、成長させる機能を持っているその結果だと思います(逆にダメな人だと言われる人も同じだと思います)。フォーカスを人ではなくて組織に当てないとこの組織の構造的な問題は見えてこないだろうと思います。この本では素晴らしい個人がいたという論調が強すぎるようにも思います。

 

 この著者が素晴らしい能力を持った方であることは間違いありません。今回はこの本の限界を指摘したつもりです。私は、この著者が自身の高い能力を少しだけ使って、児童相談所児童福祉司を経験しながらフィールドワークをして、児童相談所の内在的な論理を掴み、これまでの児童福祉の世界を一新するようなイノベーションを起こしてほしいと思いました。

 

言葉を何のために使うのか。

 

 

 

告発 児童相談所が子供を殺す (文春新書)

 

 発売直後にすぐに購入して読んだのですが、あまりに気分が悪かったので、しばらく放置しておきました。しかし、この本が放った砲弾の力をきちんと評価しておかないと今後の議論が荒くなるような気がしますので、ここで取り上げることにしました。

 

 タイトルからも分かる通り、児童相談所内部告発です。著者が勤務していた児童相談所の内部が暴かれています。内部にいた者にしか分からない世界が描かれており、ベールに覆われていた内部が明らかになったという点は積極的な評価をしておいてもいいかもしれません。

 

 一方で、著者の万能感に基づいて現場を罵倒しているだけとも言えます。自分がいかに優秀であり、それ以外の者がいかに無能であるのかという論調は読んでいて、気持ちのよいものではありません。そうやって周囲を貶めて、自分の価値を高めるという戦略自体を否定するものではありませんが、私の価値観には合いません。

 

 人間に与えられた言葉という機能は何のために使われるべきなのかということを考えさせれます。私は、言葉というのものは他の人たちと問題を共有し、一緒に取り組んだり、改善していくために使われるべきものだと考えます。自分が社会で発する言葉がどのように他者に影響を与えるのかという言葉に対する感性が弱いというのがこの著作の欠点であると思います。

 

 これは臨床の現場でも同じことです。支援者は、言葉を用いて、保護者と一緒に考え、よりよい家族関係を作っていこうとします。言葉は保護者を否定したり、貶めたりするために使うものではありません。

 

 この本を読んでみて改めて児童相談所という現場は適切な言葉で語られなくてはならないとも思いました。ここまで書いて過去の文献を思い出しました。

児童相談所はいま―児童福祉司からの現場報告 (新・MINERVA福祉ライブラリー)