コミュニティーの無意識的な復讐心
イギリスの精神分析家のウィニコットの書簡集を読んでいるのですが、当時1950年代のイギリスの児童虐待や非行問題についても言及しています。いつの時代にも虐待や非行という問題はあるということを改めて認識させられます。
一つの手紙(『ウィニコット書簡集』17)のなかで、ウィニコットは「コミュニティーの無意識的な復讐心」という概念を提出しています。ウィニコットはこの復讐心を自覚しないと、私刑(リンチ)の正当化を許してしまうと警戒しています。
何か凶悪な犯罪や悲惨な児童虐待のニュースを目の当たりにすると、私たち生活者のなかに湧いてくるこの感情です。これは誰のなかにも強弱はありますが、湧いてくる感情ではないでしょうか。
ウィニコットは、同じテキストのなかで「法の手続きの役割は、基本的にリンチを阻むものであり、それは、第1に復讐心に対して責任を肩代わりすること、2番目に熱をさますこと、そして客観性を働かせること」だと論じています。
法の手続きが、この復讐心を煽るようなものになってはいけないという警告を鳴らしています。
ウィニコットの警告を踏まえて、現在の日本の状況(2015年)を眺めてみましょう。直近では神奈川県厚木市のネグレクトの虐待死事件や、少し前の大阪の2児ネグレクト死事件の判決を思い出すと、それぞれ大変重い判決が出ています。最初の事件は19年、後者は30年でした。
コミュニティーの無意識的な復讐心を見事に体現した判決だと言えるかもしれません。重い判決によって同様の事件を防ぐことができるという抑止効果が当然含まれているのだろうとは思いますが、復讐心に対する冷静さや客観性が失われているのではないかと危惧します。
私は現在援助をする立場にいるので、このことについて特に敏感になっているのかもしれません。なぜなら復讐心を抱えて、当該の家族に介入しても、介入は成功しないからです。そこには冷静さと客観性が求められます。
ウィニコットは、この手紙の後半で、「彼ら(裁判官や法の手続きに責任のある人びと)の基本的な機能というのは、大衆の無意識の復讐を、最も文化的な方法で表現することなのです」と述べています。
ソーシャルワーカーとしてこの「最も文化的な方法」とは何かを考えていこうと思います。
11月は児童虐待防止月間ですが、復讐心を越えて、さらにもう一歩踏み込んで考えていく必要があると思います。