掛け違い
本日も出張日和。同僚の冗長なコミュニケーションと歪んだ自意識に曝されて、疲労感が強い。
懸案の話し合いは先方の都合でキャンセル。こちらの対応というよりも先方の都合という雰囲気を感じる。しかし、上司や同僚は相手を責めている。どうしてすぐに相手を責めてしまうのだろうか。同じ次元で感情的に反応するのは「素人」である。人はすぐに善悪を判断したがる。
そういう逆転移にまったく共感ができないけれども、流れで飲み会へ。それはそれと区別できない未熟者である。
ボタンが掛け違っていても、一つや二つならほぐすことはできるけれども、こうやって幾重にも重なっていくとどうにもならない感じがしてしまう。私の位置ではもはやどうにもならないという絶望に襲われる。以前の同様の苦い経験を思い出す。あれから何も変わっていない自分に腹が立つ。
やっぱりもう限界かな。
私の怒りの根本は、対象を必要以上に傷つけていることに無自覚であることだ。そういう奴に公務をする資格はない。