〈非僧非俗〉へ
〈衆生〉にたいする〈教化〉、〈救済〉、〈同化〉といったやくざな概念は徹底的に放棄しなければならない。なぜならばこういう概念は、じぶんの観念の上昇過程からしか生まれてこないからだ。観念の上昇過程は、それ自体なんら知的でも思想的もない。ただ知識が欲望する〈自然〉過程にしかすぎないから、ほんとうは〈他者〉の根源にかかわることができない。
〈他者〉とのかかわりで、〈教化〉、〈救済〉、〈同化〉のような概念を放棄して、なお且つ〈他者〉そのものではありえない存在の仕方を根拠づけるものは、ただ〈非僧〉がそのまま〈俗〉ではなく〈非俗〉そのものであるという道以外にはありえない。
教理的な課題のなかに実践的な課題を心情的な形でもちこまないこと、また実践的な思想の課題を解くのに教理上の理路で済ますようなことをしないこと。
『最後の親鸞』を読了。親鸞に説教されているような気分になる。新年にふさわしい。今年も〈非僧非俗〉の精神でいこうかと思います。
定例の読書会へ新規参入者を開拓中。うまく発展していくことを願いながら。
『スティーヴィー』一般公開に向けて新しい動きあり。「私でいいんですか」という思いが擡げているが、期待に応えていこうかと思います。なにせ素人なんでどこまでやれるのかは分かりませんけど。詳細は順次報告します。
青山真治『死の谷95』の単行本を読了。近いうちに芥川賞を獲ると予言しておきます。1995年という年がいかに重要であったのか。時代と個人の生がシンクロしてつながっているというところがとても好きだ。いよいよ新作『エリエリレマサバクダニ』公開だ。