絶望への微かな抵抗ー小澤雅人監督作品『月光』
2016年6月11日に小澤雅人監督最新作『月光』が封切られました。
監督が企画を立てたおよそ二年前からひそかに応援をしてきた者としても、無事に公開されたことを心から喜びたいと思います。
この作品は、二つの意味で絶望的な作品です。
まずは、チラシのタイトルにあるように扱われているテーマが、性被害や性的虐待という「絶望」の極みの被害者が主人公であることです。本作品で描かれる二人の女性たちの「絶望」は、今現在日本のどこかで起きているかもしれないという絶望(現実)へと繋がっていきます。
次に、このようなテーマを扱った作品は、マスメディアやテレビのコンテンツとしては絶対に不可能であり、映画の興行として計算した場合には、「絶望」的な作品に違いないということです。
ちなみに『月光』が封切られた2016年6月11日は、マスメディアが食いつくような有名女優が主演した作品が同じ新宿で封切られ、大資本によって制作された日本映画が、全国のシネコンで封切られているという事実を知るだけで、この作品が映画の世界においていかに「絶望」的であるのかが分かります。
この二つの絶望のなかで『月光』は、世のなかに発信されました。
では『月光』はこの二つの絶望の中に霧散してしまうのでしょうか。
それは違います。監督が発信した『月光』を私たちが受け取り、受け取った者が次に拡散することで、その絶望に微かに抵抗することになるはずなのです。
それは、性被害や性的虐待という絶望を知り、その現実を一つでも減らしていく力を生み出すはずですし、一人でも多くの方が『月光』を鑑賞することで、映画界に爪痕を残し、次に『月光』のような尖った作品が生み出される環境を作るはずなのです。
映画館に行き、映画を観るという行為は、極めて能動的で、クリエイティブなものなのです。
私たちは、絶望への微かな抵抗を繰り返すなかで、次の進むべき道を見いだしていくのだと思います。
『月光』を映画館で浴びるように体験することが、次の一歩へ繋がるはずです。
ぜひ劇場でご覧ください。