Social Worker's Note

社会福祉士です。現場で感じたことや考えたことを発信します。

#005

 児童虐待をどのように認識するのか。私はここで〈権利侵害的〉アプローチと〈人間苦的〉アプローチに分けてみたいと思います。

 

 権利侵害というのは、加害者が被害者の権利を侵害するというモデルです。加害者である大人が、被害者である子どもに暴力を振るい権利を侵害するというモデルです。これは司法的なモデルでもあります。被害者と加害者をきちんと分けて認識していくモデルです。このモデルでは、加害者を見つけ出し、被害者のそばから排除するのかということが課題となってきます。このアプローチの先には、警察による逮捕や検察による起訴があります。これは非常にクリアだし分かりやすいと思います。

 

 他方で、〈人間苦〉的アプローチとは何か。〈人間苦〉という概念は、柳田国男が『山の人生』のなかで使った概念です。生活が苦しくて、斧で子どもの首を切断してしまうという男の話のなかで登場する概念です。

 

 柳田は当時恩赦の仕事をしており、そこで犯罪者への恩赦を検討するために、多くの犯罪記録を読む立場にあったとのことです。そこで柳田は〈人間苦〉という概念を使って、その記録を語ろうとしています。

 

 置かれた状況のなかで止むに止まれずに弱い立場にある子どもに暴力を向けてしまうというという現実。柳田はそのことを〈人間苦〉という概念に込めようとしたにちがいありません。

 

 この二つの概念の優劣を競うことがここでの目的ではないのですが、私の実務上の実感から言うと、明らかに後者の方が現実を説明してくれるように思います。

 

 児童虐待の場合、被害者である子どもが、加害者である保護者を擁護したり、庇うことはよくあることですが、これらは権利侵害モデルでは説明できません。〈人間苦〉モデルなら説明することができます。親子が密着し、止むに止まれず暴力が発動してしまったが、親子の密着感は残り、お互いを求め合う関係性は変わらない。

 

 まずはこの二つのモデルを導入し、現実を整理できるのではないかと考えています。